大富豪のアリスタイド・レオニデスが毒殺された。被害者の妻が疑われているが…という話。
被害者の孫の婚約者であるチャールズが、一応探偵役として乗り込みます。しかし「この家でぼくはなにをしているんだってだれかがたずねたら、ぼく、どう返事をすればいいんです?」なんて言う始末。
そして、いろいろな人と話をしますが、そのたびに怪しいだの怪しくないとか、あるいは、かわいそうとかいう感想を抱きます。もはや探偵役というより、ただの傍観者です。
では彼の婚約者であるソフィアが、真の探偵として活躍するのかというと、そうではありません。とても魅力的な人物として最初は描かれます。しかし、物語が進むにつれて容疑者である家族の中に埋もれていきます。
物語はユーモアはありますが、落ち着いたトーンで進みます。真面目な人の言う冗談だからこそ面白い、という感覚です。一風かわった人物たちが登場しますが、「なぜエヴァンズに頼まなかったのか?」であったような、ドタバタコメディのような展開にはなりません。これはとてもよかったです。
そして話が進むにつれて、こいつが犯人じゃないか、という疑惑が浮かびます。そして読み進めていき、ある展開があった時、その疑惑が確信に変わります。
なぜそう確信することができたかというと、この「ねじれた家」は、エラリー・クイーンの「Yの悲劇」と展開が同じだからです。
ですが、クリスティーのことだから、それをフリにして、裏切ってくるのかもとも思います。
そして結末です。結局犯人はそのままでした。考えていた通りでしたので、意外な犯人という驚きはありません。ですが、後味の悪さというか、やるせなさというか、そういうものを感じました。
犯人は探偵役のチャールズと、じっくり話をしています。それは同時に読者である私たちとも会話していることになります。そしてチャールズと同じような感想を持ちます。チャールズの気持ちにシンクロする感覚に襲われるのです。
しかし、しばらく後にじわじわと、別の感覚が浮かんできます。
「Yの悲劇」と展開が同じだからと、「ねじれた家」の評価を落とす人がいます。私も読了後すぐは、すこし拍子抜けした感じがありました。
「Yの悲劇」は、犯人と探偵たちのからみは、あまりありませんでした。そしてその分、別領域からの刃的な驚きがありました。対して「ねじれた家」は、その驚きはありません。
ですが、むしろ先に「Yの悲劇」を知っているからこそ、犯人への疑いを早くから抱くことになります。そしてその分、その人物が犯人であってほしくないと思いながら、物語のなかの時間を過ごします。
「怪しいな。いや、違うか。いや、やはり怪しい。でも、そうであってほしくない。あぁ、これは間違いない。やはり、そうだった…」
読者である自分の、この気持ちの流れ。それと同じように、犯人を見ていた登場人物がいます。エディスです。つまりこの読書体験は、エディスの心の動きをなぞっているともいえるのです。
そう考えると、先行作品があったにもかかわらず、クリスティがあえてこの作品を書き、そして自分のお気に入りの作品として、この作品を挙げたことの理由がわかる気がしました。
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