概要
1942年のポアロ長編、33作中21作目。
登場人物のアミアス・クレイルは、クリスティーの前夫、アーチボルト・クリスティーがモデルになっているそうです。実際イニシャルが A.C と共通しています。また舞台となるオルダベリーの家は、クリスティーが別荘として使っていた、グリーンウェイ・ハウスがモデルではないかと言われています。
個人的評価
あらすじ
16年前、画家アミアス・クレイルが毒殺され、犯人として妻のカロリンが挙げられた。彼女はその一年後、獄中で亡くなってしまう。彼らの子供カーラは母の無実を信じて、事件の再調査をポアロに依頼する。そしてポアロは当時の関係者たちと会い、一人一人から話を聞くのだが…
登場人物
- カーラ・ルマルション(依頼者)
- アミアス・クレイル(画家・カーラの父)
- カロリン・クレイル(アミアスの妻)
- エルサ・グリヤー(アミアスの愛人)
- フィリップ・ブレイク(アミアスの親友)
- メレディス・ブレイク(フィリップの兄)
- アンジェラ・ウォレン(カロリンの妹)
- セシリア・ウィリアムズ(アンジェラの家庭教師)
登場人物全てが生き生きと描かれています。というのも五人が同じ話を語るのですから、ある人物についても、五通りの見方で描かれます。それによって重層的・立体的な人物像が現れることになります。読み終わった後、目を閉じると一人一人の姿が浮かんでくるようです。

みどころ
「まえおき」のカーラが格好いい。「もし万一、お母さんが有罪だったとしたら、そのときはどうなさるかね?」とポアロが言ったとき、「わたくしは母の娘ですから、真実を望みます」と答えるカーラ。
これ一発でもうカーラのファンになりました。ポアロは彼女のために、なんとか真実を明らかにしてやりたい、という気持ちが沸き上がったでしょう。そしてそれに、読者である自分の気持ちが同調する感覚に陥りました。
物語の構成が面白いです。最初は裁判に関係した全員との対話で始まります。それによって、何が起こったのかが語られます。それぞれの人物たちによって、同じような話が繰り返されます。しかしまったく退屈ではありません。というのも読者である私たちもカーラのために、証言の中に矛盾点がないか、それぞれの証言同士に食い違いがないかを必死で探そうとしてしまうからです。
証言の食い違い
私が気づいた証言の食い違いは、三つです。一つ目は「アミアスの背中にナメクジを入れたのか、ベッドにナメクジを入れたのか、ベッドにハリネズミか?」。二つ目は「ビールに塩を入れたのかか、マタタビを入れたのか?」。三つ目は「アンジェラは服を繕ったのかどうか?」です。
なんかアンジェラ関係ばかりです。必死に探しましたが、五人の証言にこれといった食い違いが見つかりませんでした。そして上で挙げた食い違いは、あまり事件の真相には関係しないんですよね。ただせっかくなので、それぞれ食い違いの真相を考察してみます。
背中にナメクジか、ベッドにナメクジか、ベッドにハリネズミか?
まず、「背中にナメクジか、ベッドにナメクジか、ベッドにハリネズミか?」です。証言の被り方を見ていると「ベッドにナメクジ」が、一番真相に近いのではないかと思われます。当の本人であるアンジェラは、「ベッドにハリネズミ」と言っていますが、まだ子供のころの記憶なので曖昧です。
特にナメクジに関しては、「アミアスはナメクジが大嫌い」とセシリアが言っており、具体的なので、間違いないでしょう。
ビールに塩を入れたのかか、マタタビを入れたのか?
次に「ビールに塩を入れたのかか、マタタビを入れたのか?」です。これは本編にちゃんと書かれてあります。両方行われています。正確には「マタタビ」は未遂でした。
アンジェラは服を繕ったのかどうか?
最後の「服を繕ったかどうか」です。これはアンジェラとセシリアの証言からは「繕った」。フィリップとメレディスの証言からは、服を繕う時間はなかったことになります。
ただ、アンジェラとセシリアは、ともにその辺の記憶が曖昧だと言っています。またアンジェラはフィリップと海に行ったのは間違いありません。するとその前にはビールを持ってきたわけです。するとやはり「服を繕う」時間はなかったと思われます。
あるいはアンジェラには「服を繕いなさい」としつこく言われていたことが頭にあったため、そのような記憶につながったのではないかと思います。
ダブルミーニング
ダブルミーニングが恐ろしく有効に働いています。この作品のキモはここです。
「そんなことあまりにひどすぎるわ」というカロリンの言葉。その裏の面を知った時、カロリンの人物像がひっくり返ります。そして彼女の不思議な行動に、合理的な説明がつくというのが美しいです。
また、アミアスとカロリンの本当の気持ちがわかるに至って、悲しみが襲ってきます。カロリンは過去にとらわれていて哀れですし、アミアスは妙に人間臭さを感じます。それだけに自分に毒が盛られたことを認識した時に、アミアスが何を感じたのかを想像すると、胸が締め付けられます。
犯人について
憎むべき犯人に対しても、同情の気持ちがわいてきます。信じていたものが、突然ガラッと崩れてしまうその絶望感を思うと、なんともやり切れません。
そしてもう一つ、「そんなことあまりにひどすぎるわ」という言葉を聞いた、犯人のあの瞬間。今まで優越感に浸っていた自分が、その相手から同情されるという恥ずかしさと劣等感、そこからくる大きな怒りの感情。
そしてすべてが終わった後の無力感。そういったことが、犯人の最後の言葉を重くさせます。
気になる点
気になる点は一つ。
ビール瓶にコニインが入っていなかったことが、裁判中に証明されました。するとアンジェラが犯人なのはありえないと、カロリンにはわかるはずです。アミアスが自殺でないと信じるなら、犯人はエルサしかありえません。
また書斎におけるアミアスとカロリンの言い争いについて、エルサが裁判において虚偽を述べています。これにカロリンが反論しなかったのはなぜでしょう。
アンジェラをかばうために、裁判に対して本気で向かわなかったと、当初は考えていました。しかし、エルサが犯人だとカロリンにわかったなら、裁判の態度も変わってくるのではないかと思います。
あるいは夫を失ったために、その追及をしないほど気力を失っているのか、あるいはエルサに同情してしまったのか、と考えると、裁判中のカロリンの態度は分かります。ただどちらにしても、アンジェラに送った手紙にに関しては、それとは矛盾してしまうと思いました。
もしアンジェラを犯人と信じたまま、獄中で亡くなったと考えると、アホすぎるなぁと…。全てわかったけれど、気力を失っていると考えるのが、一番ですかね。でもあの手紙はアンジェラを犯人と信じて、自己陶酔に陥っていますよね。うーん…
感想
すごい小説であることは間違いありません。いわゆる三角関係のゴタゴタは、クリスティーお得意のシチュエーションです。ですが、こういう切り口・見せ方で来るかという驚きがあります。なんと悲しく・哀れな話でしょうか。これはそれを直接描いていないからこその効果なんでしょうね。読み終わった後の余韻の中で、登場人物一人一人の物語が出来上がる感覚です。いや、本当にすごいです。
ですがその分、登場人物の印象が強すぎて、ポアロの存在価値が薄まっていることが、もったいないというかなんというか。むしろこれは、ノンシリーズとしてやった方がよかったかなぁ、と思いました。(実際、舞台化されるときには、ポアロの存在は消されているんですよね)
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