プロローグでの島田潔からの手紙ではじまる。どうも文面が「島田潔」らしくないなぁと思いつつ読み始めます。すでにのこの辺からこの「人形館の殺人」に対する、なにやら違和感を持っていたのかもしれません。
飛龍想一という人物の視点から見た出来事が、月ごとに1章という形式で語られます。
章の最後または途中に挿入される、謎の犯人の描写がいまいちよく分からない。具体的なものがなく、抽象的なものばかりなので、そういう犯人的なものがいるのだなぁ、ということしか分からない。
推理小説ならば、ここは犯罪の具体的計画の一端を、小分けにして描写したりするのだろう。しかしそういうものがないので、これは推理小説ではないのではないかと思い始めました。
小さな犯罪も起こりますが、「誰がその犯人か?」ということにはあまり興味が行きません。気持ちとしては普通の小説として読んでいきました。
だんだん壊れていく「飛龍想一」という人物。迫りくる殺人者の恐怖。ここら辺でそういうホラー的な小説の感じがしてきました。
あまりホラー小説は読まないので、なんだかなぁと思いつつ読み進めると、ようやく飛龍の身の回りにいる「辻井」が殺されて推理小説的な話の流れになっていきました。この時点ですでに小説の5分の4は終わっています。
その周りの証言を集めると、状況は密室です。しかし、自分としてはすでに飛龍想一が壊れてきてるなぁ、と思っているので彼の証言は信用できません。
そういうことでこの「辻井殺し」の密室も、あまり信憑性がないなぁと感じていると、なんと結論もそうでした。何じゃそら・・・・・・
他の人の評判もあまりよくない「人形館の殺人」ですが、私もあまり評価できません。これは推理小説ではありません。全く違うものとして楽しむべき小説なのでしょう。
もしくはこれをあえて「館シリーズ」に組み込んだ綾辻行人の考えを汲むとしたら、この「人形館の殺人」におけるメイントリックというのは、何なのだろう。
「語り手=犯人」とかそういうものではなく、「・・・・・・ん!・・・・・・くん!」が伏線で、この小説が「推理小説」ではなく、「ホラー小説」だったというトリックなのだろうか?
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